これからのための担降り

タイトルにある通りの担降りブログを書く。

 

グッジョブライブを終えて、これからも松崎くんのことは応援したいとぼんやりと考えていた。でも、いまは松崎くんを見ても邪念が芽生えてくるばかりで、これからどうしたら応援できるんだろうってずっと悩んできた。

 

そしてこの結論を出した。これからも松崎くんが舞台に立つ姿を見続けるために担降りしようと思う。

 

 

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ダブトラ初日を観劇した。

歌って踊ってピアノにタップ、1人5役で休む間もなく出ずっぱりのミュージカル。松崎くん自身も本番まですごく不安そうだったから、私まで心配してたけど、それは杞憂に終わった。

長い足が生かされたタップダンスがとってもかっこよかった。5役の演じ分けもお手のもの。歌が一番心配だったけど、ちゃんと声も出てたし、歌い分けにも驚いた。板の上に立つと本当に器用だなあって惚れ惚れした。あっという間の2時間半だった。

ところどころ、設定に邪念がわいてくることもあったけど、それを差し置いても本当に楽しかった。

 

 

2/3、2日目も観劇した。

きのうとは一変、前説で邪念と戦うことになった。

越岡くんが、昨日は疲れ果てて(電気とか)いろいろつけっぱなしで寝ちゃったんだよー(ニュアンス)って話し始めた。松崎くんはそれに、電気代もったいないねー(ニュアンス)って言った。

私はその一言で負の感情ループに入ってしまった。「電気代」というワードの生活感が受け付けなかった。

松崎くんは疲れ果ててお家に帰っても、何もかもつけっぱなしで寝ちゃうこともないんだろうなあとか、電気代2人分払ってるんだよなあとか。考えたくないと思えば思うほど、考えてしまう負のループ。

松崎くんは何も悪くない。別に何か匂わせるようなことを言ったわけでもない。結婚してようがしてまいが、電気代もったいないねとは言ったと思う。でも、今の私はもうその生活感を簡単に飲み込めなくなっていた。

 

結婚発表以降、無意識にラジオや雑誌から遠ざかっていた。毎日松崎くんのことを考えてたのに、メディアに近づけなかった。こんな気持ちになるから自然に離れてたんだなと気づいた。

 

ただステージの上に立つ松崎くんを見られたらそれだけでいいって思って、これからも同じ気持ちでおたくを続けようとしていた。でも、結局私はステージの上に立ってても生活感を感じてしまって、また邪念と戦って、その日は作品を100%で楽しめなかったなあって思った。もしかしたら、ひょっとして、現場にすら来るべきではないのかもしれないと思った。

 

 

 

2/4、グッジョブライブの映像が公開された。

見るつもりはなかったので、家族が横で流してるのを音だけ聞いてた。すると、松崎くんが意気込みや直前の心境を話してそうな声が聞こえてきた。

なんて言っていたかは思い出せないし、そもそも耳が受け付けなかったのかもしれないけど、全部嘘を話しているように思えた。あれも嘘、これも嘘、本当の胸のうちはこんなんじゃない、もっと違うことで頭がいっぱいだったはずだって。疑ってかかりたいわけじゃないのに、いろんな嫌な言葉が次々と頭の中を駆け巡った。

そうしているうちに、涙が堪えきれなくなってボロボロ泣いた。ライブ映像は見れないどころか音さえ聞けなかった。あんなに楽しかったライブが、どんどん思い出したくない思い出として上書きされていくようだった。去年がとっても楽しかった分それがとてもつらかった。

 

 

 

 

 

 

少したって落ち着いたら、ふと「担当を降りる」選択肢が浮かんだ。

 

ダブトラを見て、松崎くんのパフォーマンスや表現は大好きだって改めて確信した。

でも、ダブトラを経て、もう松崎くんの現場を松崎担として100%楽しめなくなったことに気づいてしまった。松崎くんを見ている限りは絶対にいつかは邪念がよぎるから。余計なことを考えて、ぼけーっとしたまま作品を楽しめないなんて、何のために現場に行ってるのかわからなくなってきた。

 

そんな状態で「担当」を続ける意味があるのか?これからも同じ時間とお金と熱量を注げるのか?

自担として応援してる限り、ずっと「それでも応援するのか?」って自問自答していくことになるんだろう。そして、その度に負の感情に襲われることになる。

 

 

見るたびに出てくる邪念を振り払って、「それでも応援するの?」っていう問いかけと戦って、松崎くんのパフォーマンスそのものだけを愛せるほど私は器用じゃなかった。

 

だから「担当」という言葉から離れようと思う。

 

 

そもそも「担当」ってなんだろう?今まで私は、好きになったから担当!って気軽に言ってたんだろうけど、降りると何かが変わるんだろうか。

私は、担当と一括りに言えど、出ているメディア情報は全部目を通して、グッズも全部買って、できる限り現場に通ってってする人もいれば、年一くらいで現場に行って「あー今年も好きだなあ」って思うくらいの人もいる。

でも松崎くんはまぎれもなく前者で、自担にした去年は私のおたく人生の中で過去一現場に行ったし、雑誌もラジオもテレビも片っぱしからチェックしてたし、とにかく時間もお金も熱量もたくさん注いできた。

すると、当たり前だけどどんどん松崎くんのことを考える時間が増えた。そして最初は表に見えるところにいいなって思っていたのに、次第に表に見えていないところまで期待してしまうようになってしまっていた。

 

だから、もう表に見えないところであれこれ思うをやめる。そのケジメとして、踏ん切りをつけるために降りる。これからも純粋に松崎くんのパフォーマンスを楽しめるようになるために、私に残された手段はこれだと思った。

 

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担当じゃなくなったからとはいえ、これからも変わらず現場には行くと思う。むしろ、これからも松崎くんがステージに立つ姿を応援したいから担当を降りる。

側から見たら「現場行くなら何も変わんないじゃん」でしかないけど、激重おたくな私は自己満足でもこうしないと気持ちに方がつけられない。

結局簡略化すると、結婚したから降りたに見える。いちおたくが降りる話なんて知ったこっちゃないと思うけど、松崎くんのせいじゃないよってもう一度誰かに念押ししたい。

 

自担歴1年で担降りするも初めてだし、大好きなのに担降りするのも初めて。今はつらいけど、このまま松崎くんの姿をまともに見れなくなるよりはいいんじゃないかと思う。後悔しないために、覚悟を決めて降りる。

 

またもう一回松崎くんが100%でfor youしてくれるのを少しずつ受け取れるようになりたい。いつかうまくバランスの取れた私なりの好きの着地点を見つけられたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2/19追記----

 

このブログは、2/17にはすっかり書き終えてしまってたので、2/18-19ダブトラ公演のことを少しだけ。

 

2/18、私にとって1週間ぶりのダブトラ。松崎くんの声が死ぬほど枯れていた。普通に話すことすらままならない状態だった。

今まで普通に歌えていたパートも、普通にできていた演じ分けもそこにはなくて、ずっと苦しそうだった。低い声が全く出なかった。ジミーとボビーの話が軸なのに、その肝心のボビーが全く別人になっていた。

それでも、表情で、動きで、松崎くんができうる全ての表現を使って、役を演じ分けていた。その対応力にはとっても感動した。

 

 

でも、最後の曲でとうとう歌えなくなって、松崎くんはボロボロに泣いていた。泣きの演技も違和感ないラストシーンだけど、それは役じゃない松崎くんの涙だと私には映った。

感情移入はしないって決めたはずなのにもらい泣きせずにはいられなかった。号泣している姿に私も胸が痛くなった。ちょっとでも苦しさが紛れればと必死で手拍子で応戦した。

 

私はこうして松崎くんの担当になったんだなって思い出した。目の前で必死に全身全霊で何かを届けてくれようとしている姿に応えたい、最初は純粋にそんな気持ちだったんだなあと。

ちょっとだけ降りたくないかもって気持ちも芽生えたけど、やっぱりまた好きが加速すると裏側に期待して同じことを繰り返すことが目に見えているから、決断を変えることもないかって思った。

 

2/19、大千秋楽。松崎くんの声がだいぶ生き返っていた。たった一日で!?と本当に驚いた。しっかりケアして、できること全部やって本番に臨んだ姿に神様も少し味方してくれたんだなって思った。

昨日歌えなくてセリフに変えていたパートも、ちゃんと全部歌えていた。無理したらまたいつ声が出なくなるかなんてわからない。舞台中に声が出なくなるかもしれない。でもそんなことを恐れずに全力でやり切った松崎くんの本気の姿勢に鳥肌がたった。

もうあの圧巻の演じ分けは見れないと思って、正直昨日は少し寂しかった。だからその分とても嬉しかった。何回もありがとうって思った。

 

いい言葉が見つからないので、クリースト監督からちょっとだけ言葉を拝借して。

最後の最後の日まで、誇りであり喜びでもある自担でいてくれてありがとう!